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プロフィール

1974年1月28日に福岡県久留米市の病院で生まれる。母がいうには女の子みたいなかわいい赤ちゃんだったとのこと。
父親の仕事の都合で、名古屋市で幼少期を過ごす。幼児時代は、体が弱く、病気にかかることも多かったとのこと。

幼稚園児の時に、祖母が事故を起こして腕を切断することになったため、実家の福岡に移り住む。普通なやんちゃな子供だった。

小学生時代に初恋あり、同じクラスの友美ちゃんのことが常にきになっていた。でも勇気なく、伝えずじまい。

中学時代は、友人たちのさそいでちょっと不良っぽいこともするが、あまりおもしろくなくはまらず。逆になんだかよくわからないが、担任の先生に進められるままに軟式テニス部で練習をすることになる。地区大会で個人戦でサーブだけで、勝ち進み準優勝。恋は伝えるもたったの1週間でノックアウト。

普通高校に進学。新学期そうそうに友達にさそわれるまま、ラグビー部に所属。それからの3年間はラグビーとマージャン三昧。恋愛はロングラン。

ラグビーの県大会に負けてからは、なぜか弁護士になりたいと思い、必死に大学法学部目指して勉強する。たぶん、強制的に将来の希望を考えたから、なんとなく思いついた弁護士に噛み付いたのだろう。しかし、半年の必死の勉強にもかかわらず目標大学には受からず、3流の北九州大学法学部に進学。

大学入学半年間は裁判所に通いつつ、図書館で勉強する日々が続くが、周りの友達たちのコンパや飲み会の誘いに負け、勉学は中止。これは、実際に裁判所でのやりとりを見ているうちに弁護士が、なんとつまらない、しかもめんどい仕事をしているんだろうと思い、さめてしまったことが大きい。遊びすぎで高校時代からの彼女との遠距離恋愛も終了。

北九州の小倉の街が楽しくてしょうがない。バイトと女とダンパで2年間があっという間にすぎる。この時期にタイプライターでパーティーのチラシを作っていたが、写真を取り込めないので、思い切ってパソコン・マックを購入。すぐにグラフィック・ソフトとニフティー・サーブのパソコン通信にはまる。

大学2年ごろから自分でやっていたイベントサークルの延長で、バイト派遣業や選挙活動をやることになる。お金と人間関係のいい勉強になった。その後半年ほど休学、アメリカに半年ほどぶらり旅。

選挙活動の失敗で、イベントサークルも資金不足となり閉鎖。彼女とも別れて、ふらっとダイビングショップに行ってなりゆきでダイビングのライセンスを取ることに。

大学生活も終わり就職活動に。ネットビジネス系の仕事を探すも、どっこも人気で願いかなわず。東京や大阪や名古屋などを回り、三洋証券会社に決定。半年ほど東京に住み、証券業務や経理や経済などを勉強する。

彼女が北九州にいたので、「祖父の体調がよくないので、実家に近い福岡勤務を希望」と人事に伝えるとそれがあっさり通り、福岡支店勤務に。朝5時起きの11時帰宅の毎日の始まり。

日々原付バイクと電車で、証券の外回り営業。といってもほとんど公園や友達の家でサボり。しかし運良く仕事は獲れて、新人表彰で本社に呼ばれるほどに。特に居酒屋の主人との先物取引は、忙しくてエキサイティングな思い出。

その本社表彰に東京に出向いたときに、本社の雰囲気がおかしいと気づく。社員寮が売られていたり、本社研修ビルの骨董品や絵画がなくなっていた。会社が傾いている様子を見て、次の仕事のことを考えるようになる。

不景気のあおりもあり、証券事故やノルマの増加に伴う先輩社員の姿を見て、先行きに不安を感じる。その反動で、スノーボードやサーフィンに夢中になる。また、ボーナスをもらったので、しばらくやってなかったダイビングをしにパラオに行く。

パラオの海に引き込まれる。日本に戻るもパラオのことばかりが頭に残り、2ヶ月ほど悩んで会社を退社。パラオのパラオダイビングセンターに就職が決まり、急いでダイブマスターまで取得する。パラオに出発数日前に、三洋証券の営業停止のニュースをテレビで見る。

1997年からパラオのコロール勤務で、ダイビングのアシスタントを始める。3ヶ月後に他の日本人スタッフが全員退社してしまい、いきなりメインガイドになり、カープ島という島に住むことになる。

島民のいない、リゾートだけの島で2年間過ごす。初めの1年ほどは、すべてが新鮮で生き生きと過ごせたと思う。しかし、会社の方針と変わらぬ毎日の風景がいやになり契約満期で退社。日本に帰り引越しのバイトなどで食いつなぐ。

ノーマル線路から外れてしまったため、なかなか日本の仕事を受け入れれず続かない。商売を始めることに決め、いろいろ考えたが、パラオでダイビングショップをすることがベストと思い、まずオーストラリアのケアンズでインストラクターのコースを受けて、パラオのペリリュー島に単身向かう。このインストラクターコースの同級生が今の奥さん。ショップ始めるも2年ほどは、ほとんどゲストもいなく、食べるのにかなり苦労する。

3年目から少しずつお客さんも来てくれるようになり、生活ができるようになる。このときに結婚、子供をつくる。ペリリュー島での仕事が落ち着き、コロール本島にも事務所を出す。パラオ人やフィリピン人や韓国人や台湾人やらの中でどうにか回ってるって状態。なかなか貧乏からは脱出できずに現在に至る。 2004年8月27日


                     

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