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ペリリュー
ペリリュー島ってどこ?
サンゴ礁の海に浮かぶペリリュー島はパラオ諸島の中で、旅行者がぜひ訪れたい島の一つです。美しいビーチ、ダイビングや釣りに適した地形、野鳥たちのジャングルがあります。
島周辺には、パラオの主だったダイブスポットが集まり、ハシナガイルカが住み着いています。
ペリリュー島は南北約13km、東西は一番広いところで約5kmで、コロール島の南西41km、アンガウル島の北東約11kmの海上に位置し、スピードボートで45分、定期船で2時間半。またはべラウエアーのセスナ機で20分で行けます。
人々は地図の(2)のマーク、カルクロード地区に住んでいて、そこには8件ほどの売店やビリヤード場、ホテル、コインランドリー、ガソリンスタンド、など観光客に便利な場所が点在します。そのほかの場所は完全なジャングルで、バナナの木、ガジュマルの木、ビンロウジュの木などが生い茂っています。
ここでは、ペリリューの島の中に、どんな宿泊施設があるのか、どんな観光スポットがあるのか、などを紹介していきます。左の地図の番号が場所を示していますので、各スポットの名前の前にある番号と参考にしてください。
移動
ペリリュー島までの移動方法ご案内

スピードボート利用(約50分)
片道$35
コロール発 8:00
ペリリュー発 15:00
*天気等により時間の変更あり
マーメルダイバーズで手配いたします。


定期船利用
片道$4(約2時間30分)
スケジュールは常に変更していますので、現地にてご確認ください。確認はペリリュー州事務所までお問い合わせを
Tel:345-2967
ホテル
(1)アイランド・ビュー・ホテル
2002年11月からオープンした新しいホテル。冷蔵庫、温水シャワー、クーラーと設備は完璧です。また、港の目の前で、ダイブショップマーメルダイバーズが隣に併設しています。。海の前なのでサンセットもばっちしと、ロケーションも最高です。2階が客室で、4部屋あります。料金は、1泊ツインで$65です。1階には売店も併設しています

(2)ペリリュー・アイランド・イン
赤と黄色の派手なホテル、「ペリリューアイランドイン」。冷房・冷蔵庫・温水シャワーあり全部で6室、1部屋$66、町の中心にあります。1階には売店がありホテルのカウンターでもあります。チェックイン・アウトのキーのやり取り、貴重品を預けたり、電話を借りたりできます。2階には最近できたレンタルビデオ屋さんがあり、隣には25セントで楽しめるビリヤード場があります。
(2)マユミ・イン
普通の家に見えるこの建物は実はゲストハウスなのです。1人なんと$30で泊まれます。そのかわり、シャワーとトイレは共同なので、外にあります。ちなみに大部屋もあるので、大人数で修学旅行みたく泊まりたいときにはいいです。
あと、隣には売店と食堂があります。

(2)ウィンティー・モーテル
パラオ人のおばあちゃん[アントニオさん」がお1人でやっている民宿。ビーチ沿いにあり、サンセットが見れます。また、タピオカとりやバナナ採りなどローカルの生活を体験させてくれます。シャワー、トイレは共同、扇風機あり、お1人$25。

(2)レイコズ・イン
パラオ人のおばあちゃん「レイコさん」が経営している民宿。左には売店、右にはビリヤード場、と便利なロケーションと安さが売り。現在、道路工事関係者が入居しているため空き部屋なし。お1人$25.
観光スポット
(1)北の波戸場
ペリリュー島の玄関口。島の北にある港で、コロールから定期船・スピードボートも停まります。ブルーコーナーやジャーマンチャネルなどを潜りに行くときには、この港から出発します。つまり、ペリリューには北と南の港があり、西ポイントに潜るときには北の港、ペリリューの所要ポイントを潜るときには南の港というふうになります。
現在この港の拡張工事と待合場の建物が建設中です。
また、この港の前には売店やホテルやダイブショップやレストランがあります
(4)ペリリュー空港

ただのだだっぴろい滑走路があるだけの空港。この空港を使って、コロールとペリリューとアンガウル島を結んでいるベラウエアーという定期便のセスナが運行しています。5人乗りと9人のりのセスナがあり、また荷物だけを送ることもできます。
ちなみにコロールからだとセスナでたったの15分で着いてしまいます。コロールの事務所は、パラオ国際空港から車で3分ほどの場所にありますので便利ですよ。
また、ペリリュ-島のチケットは、マユミ食堂で代理販売しております。

(5)キャンベック
南の波止場「キャンベック」ペリリューのメインダイブスポットまで1-3分にある最高な港。木造の波戸場で雰囲気はまさに南国です。港の中の水深は3mほどと浅く、マンジュウイシモチ、ヒラアジ、ハゼなどがたくさんいます。たまにワニがでることも!!
ダイビングの講習などにもよく使われています
ペリリューのメイン通り。砂の白い道に水溜りがたくさん。両脇には民家やホテル、売店などが立ち並んでます。もうすぐここはアスファルトになってしまいます。この砂の道が最高なんですけどねーー。
(3)展望台

ここはブラッディーノースリッヂという展望台。島のちょうど中心くらいに位置し、ペリリューの島はもちろん、南はアンガウル島、西はブルーコーナーまで見渡すことができます。日の出や日の入りを見るには最高の場所。車から5分ほど歩き、それから階段をのぼるので、ちょっとしんどいかもしれませんが、登り終わったときは最高です。

(8)キャンプ場
この島には、特に設備があるわけではないですが、キャンプ場とよばれている場所が3ケ所ほどあります。バックパッカーなどがこの辺りでテントを張っていたりします。食事などはカルクルード地区で買い物するか、魚を釣り上げるかして生活しています。
治安はいいので、のんびり自給自足の生活を味わいたい方にお勧めな場所です。

(3)日本軍の司令塔
そのコンクリートの頑丈なつくりと、柱は屋根の独特なつくりには、その格式を感じます。中央屋根は1・2階とも大穴があいているのですが、それは1トンの爆弾が落とされた跡です。壁には銃弾の跡が数多く残っていて、そのすさまじさを物語ってます。

(3)中川大佐慰霊碑
ペリリュー日本軍守備隊の指導者だった中川大佐を祭った碑。この碑の右手にある獣道を下に下りてゆくと、洞窟がありそこにも小さな碑があり、その場所が最後に大佐が割腹自殺をした場所だと伝えられている。
(3)武器庫&野戦病院=戦跡博物館
ひときわ目立つ大きなコンクリートの建物。これは戦時中の日本軍の野戦病院です。かなり頑丈につくられています。現在は博物館にするために、改装しているところです。あと電気が通れば完成する予定。また、右手には広島の慰霊団の人たちの置いていった原爆に焼けた石と、その記念碑があります。
2人中に入れるかどうかくらいしかない日本軍の95式戦車。ペリリューの空港そばにあります。
島の中央あたりにぽつんと置いてある、アメリカのシャーマン戦車と上陸船。日本の戦車の5倍くらいの大きさがあります。こんな差があれば自分だったら、びびりますねー。
空港近くにある陸上艇。この中にアメリカ軍が乗り込んで、オレンジビーチを制圧したのでしょう。これまた戦車と同じくらいの大きさ。迫力です。
(7)ハネムーンビーチここがペリリューでもっとも美しいビーチ、ハネムーンビーチ。島の東側に位置し、風のあるときには波も立ち、サーフィンもできます。ゲッコーもオフのときにはボディーボードの練習をしています。ローカルもよく魚とビールをもって、バーベキューをしている場所で、話しかければ、ただビールが飲めるかも。
(2)学校
ペリリュー唯一の学校。幼稚園と小学校と中学校がいっしょになっています。ここを卒業するとコロールの高校に通うことになります。子供だけでも150人ほど通っています、日本語童話なんかを歌っていてかわいいですよ。
(3)残留兵
34人の日本人が、ペリリュー島での戦闘が終ったのを知らずに、2年半も洞窟でサバイバルをしていたそうです。その兵隊さんたちが閉じこもっていた洞窟の入り口にある看板。
(6)平和公園
ペリリュー島の最南端の岬にある公園。日本語と英語で平和を願うメッセージが書かれている。
(2)集会場
ペリリューみんなの集会場「アバイ」。昔のような木のアバイはペリリューにはありません。すべて戦争で焼けてしまいました。このコンクリートの集会場で、いろんな取り決めやイベント、選挙の公演などが行われます。それも週に1-3ほど、かなりの頻度でなにかしら行われています。
たまに映画の上映会なんかもやってますよ

(8)ペリリューの北東にある「スイミングホール」と呼ばれている大きな水溜り。薄い海水が中に溜まっていてパラオ人たちの絶好の遊び場。中には、小さいエビがたくさんです。
(6)スカーレットビーチ
スカーレットビーチの干潮での景色。満潮だと綺麗なビーチですが、干潮だと岩だらけ。でも白砂のきれいなところもありますよ。
パラオを楽しむには、潮の干満を知ることがかなり大切です
歴史館
ペリリュー島は、パラオ諸島にある小さな島です。その平和な島で、第二次世界大戦の末期、日米両軍によって73日間にいたる死闘が繰り返されました。ペリリューに散った”サクラ・サクラ”
戦争当時、日本軍はフィリピンを防衛するために、その島に東洋最大といわれる飛行場を建設していました。ペリリュー島は日本にとって、いわばフィリピン防衛の防波堤であったのです。ペリリュー攻防戦は、昭和十七年六月のミッドウェー海戦で日本が惨敗し、米軍の反攻が本格化し、昭和19年になると、米軍は対日包囲網を圧縮してきました。日本軍は昭和十八年から十九年にかけてガダルカナル島、アッツ島、トラック島と玉砕を続けていました。これらの戦闘のたびに、日本軍は兵員・艦船・航空機を失っていった。そして日本本土直接攻撃の拠点となるサイパン、グアム、テニアンの各島が米軍の次の攻撃目標となるのは必至だった。米陸軍を指揮するマッカーサーにとって、フィリピンを攻略するためには、フィリピンの背後に位置するペリリュー島を奪取しなければ、戦況を有利に進めることはできませんでした。そこで、米太平洋艦隊を指揮するニミッツ提督は、マッカーサーの作戦を助けるために、第一海兵師団(師団長、ウィリアム・H・リュパータス少佐)にペリリュー島の占領を命令しました。さらに、勇名を以って鳴るハウゼー大将が指揮する第三艦隊約八百隻の艦艇が、海兵隊支援のために差し向けられました。
これに対するペリリュー島を守備する日本軍は、水戸の第十四師団の歩兵第二隊を主力とした地区隊(隊長・中川州男大佐)一万二千人。満州(中国東北部)の関東軍指揮下から、ニューギニア、マリアナ、そしてパラオと転進してきました。しかし、装備・資材は「弾薬半会戦分、自動車用燃料一ヶ月分、食料六ヶ月分」にすぎませんでした。一回戦は通常三、四ヶ月の戦闘を予定しています。そしてその後の補給は、小銃弾一発すらなく、この時点でペリリュー守備隊の全滅が運命づけられていました。これまで太平洋の島々が攻撃された時、日本軍の持久期間は短く次々に玉砕しました。それは、「水際撃退」を至上の戦法にしてきたからでもあります。その戦訓をいかし、ペリリューでは、内部に深く洞窟を構築して待機していました。
すでに制海権・制空権を手にしている米軍は、狭い小島に文字通り絨毯爆撃と艦砲射撃を加え、九月十五日、航空母艦を含む機動部隊を背景に、上陸作戦を敢行してきました。総兵力四万二千。それに対して、日本軍は、二度までも上陸を阻止するほど勇戦しました。しかし、上陸を阻止してからは、予定通り五百の洞窟にこもって、持久戦に移りました。連日連夜、彼我肉迫する戦闘が続きました。日本軍は弾丸や食料の補給が続かなく、死傷者が続出しました。しかし七十三日間を持ちこたえ、健在者は僅か五十数名に減ってしまいました。
そして十一月二十二日、中川隊長は、パラオ地区集団参謀長多田督知大佐宛、訣別の電報を打ちました。
二十四日、いよいよ全軍玉砕の時が迫りました。中川大佐、そして第十四師団から派遣されていた村井権治朗小将、飯田善栄中佐の三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。三人のあっぱれな最期に続けと、最後の決死隊が組織されました。根本甲子郎田大尉以下、傷だらけの五十五名は、夜鬼のごとくになって突撃してゆきました。米海隊公刊戦史によれば、「日本の斬込隊の一団は、米軍の包囲圏を突破できず、二十四日の夜から二十七日七時頃までの間に米軍と激しく交戦、全員玉砕した」とあります。
そして、軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時でした。この六文字の電文は、ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味するのです。
ペリリュー神社
ペリリュー島は、現地住民の住んでいる島です。島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているいて、大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をコロール島に退避させました。
この誠意が通じたのか、戦いが終わって帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣いたそうです。島民はこぞって日本軍の遺体を葬り、墓地の清掃に心掛けました。
現在、島の中央部に近い「島民墓地」の一角に、高さ約四メートルの「みたま碑」が建っています。それを中心に、日本の各団体によって三十数基の慰霊碑が肩を寄せあるように建立されました。
ペリリューには、昭和九年に「南興神社」が建立されていました。現地人たちは昭和十九年の玉砕戦で神社が破壊されるまで、同神社を「ペリリュー神社」と呼称して、島の安泰と繁栄を祈願してきました。
そして昭和五十七年には、「青年南洋群島慰霊巡拝団」二十名が、船坂弘氏の助力を得て、ペリリュー神社を再建しました。すべて日本から運搬した材料を使い、島民の協力を得て、十日間費やして完成しました。御祭神は天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」です。
オレンジビーチの戦い
昭和十九年九月十五日の日の出を期して攻撃した米軍二個師団四万の兵は、ペリリューの西側に則したリーフの先より、上陸用舟艇や戦車を先頭に殺到してきました。だが緒戦では、日本軍の速射砲による対戦車攻撃で、大きな損害を受けた。米軍の交戦記録には「一インチ進むたびに一パーセント損害が増える」と書かれている。最初の損耗率は50%をゆうに超えていた。その中のひとつ、560人編成の小銃小隊の生き残りはわずかに74人にすぎなかったほどです。
一度は退却を余儀なくされた米軍は、日本軍と正面から対峙する強行上陸を避け、守備隊の手薄な側面に迂回する作戦をとった。正面からの攻撃は陽動作戦に近かった。
やがて米軍は上陸に成功し、橋頭堡の確保に成功する。そして米軍が拠点を確保した後の日本軍の損害は、一挙に拡大していく。日本軍はいたづらに斬りこみ攻撃を繰り返し、そのつど大量の死体の山を築いていく。
米軍は占領後、激戦の行われた西海岸をオレンジ・ビーチと名づけました。それは、アメリカ兵の血で美しい珊瑚の海がオレンジ色に染まったからです。現在「オレンジ・ビーチ」はペリリュー島の正式名になっています。
ニミッツ提督はその著「太平洋海戦史」の中で、ペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいます。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米軍の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった。既に制海権・制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」
一年半の孤独な闘い
山口少尉、聞こえるか。私は日本からお前たちを迎えに来た。日本は戦争に負けたのだ。山口少尉、出てきなさい」
昭和二十二年三月下旬、パラオ諸島ペリリュー島の中央部、生い茂るジャングルの中に、連日、日本語が響き渡った。日本軍が「大山」と名づけたこの一帯に、武装した100人近い「元」日本軍がひそんでおり、時折、米軍と小規模な銃撃戦を交えているとの情報をもとに、米軍が行った救出作戦の一幕だった。声の主は澄川道男・元海軍小将(50)である。
この呼びかけを、深い洞窟の中でじっと耳をそばだてて聞いている集団があった。当の山口永少尉ら約30人なのだが、彼らは疑心暗鬼だった。
「最初は敵の謀略だ、と思いました。ところが澄川小将が、自分たちの家族から来た手紙を次々と読みあげるんです。そのうえ、自分たちの故郷の話を詳しくする。そのうちに本当かもしれないと心中で思い始めました。もはやこれまでという気持でした。」
数少ない同島の生き残りの将校である山口永氏が、こう、劇的な一瞬を振り返る。
丸腰で洞窟に入ってきた小将は、もう2年も前に戦争は終わっている。日本は今、再建に向けてみんながんばっているんだ。これ以上おまえたちが戦争を続けていては国のためにならんのだ、とおっしゃるんです。それで私たち34人も投降することになりました」
まったく情報から隔離されていた山口氏たちにとって、日本の敗戦は到底信じられない出来事だった。
「その間、たしかに、いろいろ変化がありました。米軍の包囲がとかれましたから、司令部の玉砕は知っていました。けれど、日本が負けるはずはない。細々と闘いつづけていると信じていました。しかし、おかしいこともあったんです。基地のまわりで時折見かけるアメリカの雑誌に、皇族や東京の写真が載っているし、避難して女性など1人もいないはずの島に、女の人が戻ってきたんです。米兵にいたっては奥さんを呼び始めた。それでもまだ、謀略の可能性があると思っていたんです」(山口氏)
なぜ、山口氏らは生き残ったのか。山口氏は、米軍のペリリュー上陸を最前線で迎え撃つ部隊に所属していた。昭和十九年九月十五日の日の出を期して攻撃した米軍二個師団四万の兵は、上陸用舟艇や戦車を先頭に殺到してきた。だが緒戦では、日本軍の速射砲による大戦車攻撃で、大きな損害を受けた。一度は撤退を余儀なくされた米軍は、日本軍と正面から対峙する強行上陸を避け、守備軍の手薄な側面に迂回する戦術をとった。正面からの攻撃は陽動作戦に近かった。そのため、本来ならば最初に玉砕するはずだった山口氏ら最前線の兵に、生存者が多かったのである。
レストラン
コメント:ペリリュー島唯一のレストラン、ローカルフード(ウカエブ、コウモリ、ウム)料理を堪能できます。場所は、北の波戸場目の前で、横に「アイランド・ビュー・ホテル」と「マーメル・ダイバーズ」があり観光客にとっても便利。名前の通り、壁はすべて黄色にペイントされて目立ちます。
夜はディスコになることも
営業時間:8:00-21:00
電話番号:345-1652
メール:info@mamldivers.com
(2)マユミ食堂マユミインと同系列の食堂。メニューは無く、すべてセット料金になっています。朝食$7.50、昼食$9.50、夕食$12.00、特別メニュー$16.50。(カニ料理)
営業時間:特にないので1日前の予約が必要
電話番号:345-1036
(1)ソフトクリーム屋北の波止場の近くには、ソフトクリーム屋さんがあります。チョコとバニラが選べれて、1つ1ドル。
ダイビング後の至福のおいしさ。でもここはペリリュー、どっかタロイモ採りや漁に出ているときがあり、閉まっていることもあります。その辺かなりアバウトですので注意。
写真は、道向いにあるアイランド・ビュー・ホテルからの景色ですが、その右側に写っている卵色の建物が魚市場で、その事務所でソフトクリームが販売されています。
(2)ビリヤード場&売店
カンイチさんの売店には、「カプチーノ・ジェラード」やその他、日替わりでいろんなジェラードが楽しめます。ダイビング後のほてった体に最高!!!
電話番号:345-1135
(2)リウス・バー
島唯一のカラオケ&ダンス・バー。完成すればビリヤード場、ディスコ、生バンドを兼ねたペリリューイチの娯楽施設になる予定です。場所は病院の向いです。2007年現在でも営業中ですが、ゲストが少ないため閉鎖になるかもしれません。オーナーより経営者募集中とのこと。
ショップ
(1)マーメルダイバーズ
日本人経営のダイビングショップ。PADIライセンスコース、戦跡島内観光、釣りツアーなどあらゆるニーズにお答えします。営業時間:7:00-18:00
電話番号:345-1652 FAX番号:345-1652
E-mail:info@mamldivers.com HP: www.mamldivers.com
(4)6KS POOL
ビリヤードが一台お店に置いてあります。75セントで1ゲームを遊べるとあって、終日パラオ人たちの溜まり場になっています。また、売店も兼ねていて、「カプチーノ・ジェラード」がダイビング後に格別!!
また、裏手には乾燥機も完備のコインランドリーも営業しています。
(2)ケイボー・ストア
ペリリュー島で唯一バスを所有し、団体の戦跡観光を運営しています。ガイドはパラオ人なので、英語を理解できる人には大丈夫です。
また、売店も2箇所あり、バングラディッシュ人やネパール人などゆかいで楽しいお店番とたわいない話をしていると1日が終ってしまう?
(2)アグネス・ストア
テーシャツやタンパンやビーチサンダルなど、南の島に必要な洋服などが一通り揃います。フィリピン人の奥さんが経営していて、新入荷品があるとみんなに売りに周ってきます。ですので、たまに在庫が全くない時なんかもあります。ま、田舎の島ですからご愛嬌。
(2)リウス・ストア
町の中心地に位置し、売店と洗濯屋と洋服屋を兼ねています。特に、洗濯は洗い、乾燥、アイロンかけ、たたみまでをすべてやってくれるので、時間のない観光客には大助かり。
ちなみに、ここはペリリュー中のフィリピン人たちの溜まり場なので、ここでふらふらしているとフィリピンに来たような気分を味わえますよ。
電話番号:345-1088
(2)オーバック・ストア
ペリリューの酋長が経営しているお店。売店とコインランドリーを兼ねています。特に売店は日本の100円ショップのような品揃えで、家庭の主婦やキャンプする人には強い見方。
ちなみに、ここはペリリュー中のフィリピン人たちの溜まり場なので、ここでふらふらしているとフィリピンに来たような気分を味わえますよ。
電話番号:345-1000
(2)F&H ストア
日本人のフユコさんの経営するお店。釣具からアイスクリームまでなんでも品揃え。ちなみに、このフユコさんはご両親供に日本人で、日本の集団疎開の時にパラオに残った方。パラオの歴史に詳しく、日本をこよなく愛するおばあちゃん。
電話番号:345-1032
(2)アレックス・ストア
学校の向いにあるため、文房具などの品揃えがいい。
2階にモーテルが2008年度より完成予定
動植物
ガジュマロの木大きな大きな大樹で、枝からはツルがたくさん下に降りていて、さながらロビンソンクルーソーの世界。道のわきにたくさん育っているので見てみて下さい。
オカガニ
満月の夜になるとどこからともなく、ゲンコツくらいの大きさの赤いカニが産卵のために、海辺に卵を産みに出てきます。そのカニは、ペリリューの郷土料理とかにもなる需要の高いカニですので、良心のある方は絶対に卵のついたカニを捕まえるのはやめましょう。産卵をビーチで終え、もうすぐ死を迎えるかもしれないカニを食しましょう。
イナミガイ
オレンジビーチからホワイトビーチにかけて採れる、シジミサイズの小さい貝です。小さいのでお味噌汁に入れる最高!!!でも、あまり捕り過ぎると数が減っちゃうので乱獲はしないでくださいな。
バナナの木ふとフサフサな木をみると緑の実、それがバナナの木です。ペリリューの割と湿地帯に近い場所の生息しています。採集して数日置くと黄色に変色しておいしいバナナになります。でも、一応土地所有者がいますので、勝手に採るのはやめましょう。
タロイモ畑湿地帯の多いペリリューには、タロイモ畑がたくさんあります。実は土の中で育ち、大きな葉っぱが地上に出ています。また、タピオカも同じ場所で栽培していることが多く、じっくり観察しましょう。
フルーツバット
昼間は洞窟の中で生活して、夕方遅くになると外に木の実を食べに飛び回ります。パラオでは食用と楽しみをかねて、強力なエアガンで打ち落とす「フルーツバット・ハンティング」がさかんです。
ビンロウジュの木パラオ人たちがいっつも口でくちゃくちゃしている実がビンロウジュの実。石灰と「ガブイ」という葉っぱを一緒に合わせて噛みます。そうすると実のエキスが真赤にそまり、ちょっとした覚せい作用がでてきます。その実がなる木でパラオでは気を付けてみればどこにでもありますよ。
鶏
ペリリューにはなぜか野鶏がたくさんいます。道を車で走っていると鶏とぶつかりそうになることも。ちなみに、サイズはちょっと小さめなのが多いです。
ワニ
たまーーに、入り江ワニと呼ばれるワニが、マングローブ域やキャンベックと呼ばれる港近辺に姿を見せることがあります。ワニが出るとパラオ人漁師たちは、素手でつかませます。そのつかまったワニたちが、コロールの水族館やケイボーハウスなんかで飼われています。
椰子の木
かなりたくさんの椰子の木が多い茂っています。その実は、飲み物やココナッツ・オイルや料理の調味料などに利用されています。また、パラオのオリンピックでは素手で椰子の木に登る種目があるほど、パラオ人たちは普通に高い椰子の木に登ることができます。
パラオ・サクラ
学校周辺には、現地でパラオ・サクラと呼ばれる花をいっぱいに咲かせる木が植わっています。サクラのようですが、色がもっと赤く、綺麗な花です。パラオには花見の習慣はありませんが、日本人ならお座敷でも引きたくなる風景でしょう。
マホガニ&タアス
それほど数はありませんが、ジャングルの中にすばらしい木の色をもった丈夫な木があります。これらの木がパラオの伝統工芸の「ストーリーボード」や彫刻となります。特にマホガニは大切にされていて、勝手に切り倒そうとすれば刑務所行きになりかねないので、ご注意を。