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歴史

2013年大統領 トミー氏


2011年大統領 ジョンソン トリビオン氏


1500年代 スペイン人がミクロネシアの島々を発見。
1579年 イギリス人フランシス・ドレイクがパラオを訪れる。
1710年 スペイン人フランシスコ・パディラがソンソロール島を発見する。
1783年 イギリス人ヘンリー・ウィルソン船長率いるアンテロープ号がウーロン島近辺で座礁。乗員が小型船を建造して帰還するとき、コロールの酋長アルバドルの息子リー・ブーを連れて行く。
1971年 イギリス人ジョン・マックルーアは、数名のパラオ人をニューギニアに連れて行き、1973年にパラオに戻る。
1821年 文政4年1月21日、神社丸(岩手県宮古市)650石船で12名がパラオに漂着、うち10名が上陸し、4年間の滞在ぞスペイン船でマニラを経由し8名が帰国。
1823年 コフィン船長率いる英国船がパラオから襲撃を受け、死傷者がでる。
1832年 アメリカの捕鯨船メントール号がカヤンゲル島北の浅瀬で座礁。
1843年 イギリス人シェーン、マラカル島に貿易の拠点を築く。
1861年 イギリス人ウーデン、シェーンとの取引が不能になり、大酋長アルクライと手を結ぶ。
1862年 大酋長アルバドル、イギリス軍艦スフィンクス号の助けを借り、大酋長アルクライを攻撃。
1866年 イギリス人シェーン、大酋長アイバドルの命令で殺される。
1867年 イギリス司令官チャールズ・スティーブインス、シェーン殺害の積みで大酋長アルバドルを死刑に処す。
1878年 アメリカ人オキーフ、パラオへ来島。以後パラオでの商売を営む。
1880年 オキーフの船が座礁し、アルクライの部下の略奪を受ける。
1881年 上記事件の賠償問題で、イギリス軍艦がパラオに寄航。
1883年 イギリス司令官シブリアン・ブリッジ、上記賠償を免じ、2大酋長の友好を文書にて誓わせる。
1885年 スペインの所領を主張するため、スペイン船がパラオへ来航。列強の話し合いでパラオはスペインの植民地とされる。また、このころ日本との貿易が始まる。
1891年 スペイン宣教師がパラオへ来航。島司を置き、統治を開始する。
1899年 米西戦争に敗れたスペインがミクロネシアの島々をドイツに売却。
1901年 ドイツがパラオに島庁を開く。
1909年 アンガウル島リン鉱石採掘開始(1954年まで続く)
1914年 第一次世界大戦はじまる。
      日本は、ドイツよりパラオを含むミクロネシアの島々を占領。
1920年 国際連盟より日本のパラオを含むミクロネシア委任統治が認められる。


1922年 パラオのコロール島に南洋庁を設置。これより島民教育、日本語教育、南洋神社、日本人労働力中心の産業積極振興が始まる。
1940年 南洋群島島民5万人、日本人8万5000人、島民向け公学校26校、土木養成所1校
1943年 「パラオ挺身隊」ニューギニアへ。
1944年 3月30日、31日 パラオ大空襲。日本連合艦隊旗艦「武蔵」などボルネオに退去。
1945年 第二次世界大戦終結。アメリカ軍の占領下になる。
1947年 国連の太平洋信託統治領として米国の統治が始まる。
1965年 ミクロネシア議会発足、パラオも代表を派遣。
1969年 ニクソン・ドクトリン。米・ミクロネシア議会と第一回政治的地位交渉。
1970年 第2回政治的地位交渉。ミクロネシア側は自由連合、米側は連邦制を主張。
1978年 パラオはミクロネシア連邦より脱退。
1981年 憲法配布。自治政府発足。初代大統領にハルオ・レメリック。
1982年 米国との間で自由連合盟約案に合意し、90年2月まで7回の住民投票が実施されたが、いずれも75%以上の賛成が得られず否認。
1993年 第8回目の住民投票により、自由連合盟約が承認される。
1994年 信託統治終了、国連に加盟、また日本との正式な外交関係が開始される。
1996年 KBブリッジが突如崩壊。
1997年 クニオ・ナカムラ大統領就任
2001年 トミー・レメゲンサウ大統領就任
2006年 首都をコロールからマルキョクに移転


                     

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