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マーメルダイバーズ
    
連絡先:マーメルダイバーズ
palaudivers488@gmail.com
ライン:tatamix76
WeChat:tatamix88
パラオ内
TEL680-488-8029
日本内
海外出張中

10月1日パラオの独立記念日とマーメルダイバーズ14周年


Happy Anniversary of MAML DIVERS PALAU 14 years tomorrow, 1st October since 2000. Thank you for all our staff and cooperated agent and their family.

We will still encourage our business grow and keep to try how make guests surprise and enjoy in Palau.

明日でマーメルダイバーズがペリリュー島でオープンして14年経ちました。これからもさらにさらなるサプライズをゲストにお届けできるように、スタッフ一同励みます。
毎日世界中のゲストに対応してくれてるスタッフ、取引先エージェントさん、その家族の方々に厚く御礼申し上げあげます。

代表 馬場高志

===========2001-02-07 マーメルダイバーズができるまで

みなさんは毎日海でのダイビングをしている人たちを見て、どのように感じられるでしょうか?しかも海外、パラオ。そこは世界でも有数のダイビングスポットがたくさんあり、ほとんどのダイバーたちは満足してかえります。ダイバーたちはそのガイドに感謝して、お礼の手紙までおくってくれたりします。つねに笑いにつつまれた仕事でもあり、多くの若いダイバーが一度はあこがれたりするものだと思います。自分もそうでした。海外で働くことへの憧れ、英語を使っての日常、海への知識などなど。

 その得るものへの見返りに、常にダイビングの仕事に携わっている人は貧乏で、家族を持つことを不安に感じます。子供の教育環境、医療環境、すべてにおいて、日本などの先進国ではかんがえられないような低い水準なために、自分のことはいいにしろ、心配になります。もちろん保険制度もはっきりしてなく、特に外国人労働者には医療費はべらぼうに高いです。それで、永住を考える人はパラオではごく一部。ほとんどの人たちは、1-2年のダイビングの仕事に携わり、いい思い出だったと、日本に帰っていきます。

 私も悩みました。パラオ・ダイビング・センターに勤めていたことは、辞めたいときに辞めればいいですが、自分でショップを開くとなれば、それなりの責任がいります。中途半端なことはできません。すると永住?と考えてしまうのですが、現状、それはしんどいかな?と。パラオ人とある程度、深い付き合いのある人ならわかりますが、ほんと日本人では理解できない行動をとります。国自体もまだ、制度化されていなく、付き合いの社会です。日本にいる外国人労働者が日本で働きにくいのと同様、私たちも海外で生活しているといろいろその不便さを感じます。保証なんてなにもないですから。でも若気のいたりでしょうか?フリッツというパラオ人と知り合い、その人柄を信じるようになり、彼と組むなら大丈夫かな?と思い始めました。彼は、どちらかというと貧乏で、家や土地を全部担保にして、ローンをしてボートを買い、レンタルボートを1人でやっています。しかし、ドルの利息は結構高く、その利子をかえしてゆくのがやっとでした。最近は、JAL便などで仕事がありますが、それでも5年たってもなかなかそのローンが終わらない。それじゃ2人で儲けよう!!ということになりました。それから私は荷物をすべてパラオに置いたまま、日本に帰りました。フリッツはビジネスライセンスの手続き、私はインストラクターをとって、フリッツからの連絡を待つ。やっと3月後くらいに、ビジネスライセンスがおり、ビジネス・ビザの申請。それにまた3月ほどかかり、パラオを離れ半年後に戻って来ることができました。しかし、現状はかなりきびしいです。コロールには20近いダイビングショップがうごめき、その中で違いを出すには安売り合戦しかありません。安売りショップならあります。その現状も知っていますし、それではおもしろくありません。それではどうするか?違いを出すしかない。離島?未開発の島?ダイビングスポットに近い?ペリリュー?ということになりました。

 人類の歴史をみていくと、その人の流れていく背景をすごくおもしろく感じました。とくにアメリカ大陸の未開発時代。東に着いた人たちが、国を作り、法律をつくっているときに、ゴールドラッシュという夢に向かい、西に向かって進み、集落を作り、そこに永住した人たち。もっと夢を西に求めて、突き進んで行った人たち。西海岸までたどりつき、夢をかなえる場所とした人たち。そこそこに町ができ、歴史ができた。フィリピンやインドネシアのように、ヒッピーがたまり発展した町がつまらなくなり、離島などに次なる夢を求めていった人たち。ダイビングスポットへの近さや新たなるスポットを探しに、僻地へ向かったダイバーたち。それらのことをいろんな人と話し、考え、ペリリューはおもしろいと思いました。実際に、お客様に来てもらい感想を聞くと、この考えは間違っていなかったと確信しております。

 始めペリリューに住み始めたときには、若い日本人が、1人で家賃を払ってまで、ペリリューに住み始めたことをみんな不思議がっていました。以前、日本人がペリリューに住んで、覚せい剤を売っていたみたいで、私もそのように思われ、一時期、毎日のように、「アイス」を売ってくれというパラオ人が家に訪ねてきました。そのたびにダイビングショップをやりたい旨を説明し、ビールの1本でも渡しました。ペリリュー州知事にライセンスを申請し、それにまた2月ほど待たされ、暇で看板やペンキ塗りをしているところ、ダイビング雑誌などに載せてもらったおかげで、予約がはいるようになり、しかし、現状何も用意ができていなく、急ピッチで物をそろえていきました。その間は1人暮らしです。フリッツ夫妻は知人が多いコロールがよいらしく、ペリリューに手伝いには来てくれません。それでも、10月1日のパラオの独立記念日に初のマーメルダイバーズのお客様を迎え、どうにか楽しんでいただいたようでした。今でもその時の写真は事務所に飾っています。

 どうにか営業を開始できて、順調に行くと思われたのですが、タンクのチャージをお願いしていたショップさんの機械の調子が悪くなり、タンクをチャージできなくなり、しかたなく、しばらく営業を中止していた時期もありました。コロールにショップを移して、コロールのショップをしていた時もありました。その間に、タンクにエアを詰めるコンプレッサーという機械を日本から購入し、その小屋も必要なために、ペリリューの事務所を移転しました。そのコンプレッサーに必要な電線を引くのに多額に費用を請求され、電線を引くのをあきらめ、また、ペリリュー中の電話が不通になりいろいろありました。今は、自家用発電機を高梨さんにお借りして、順調にやっております。今週からはコロールとペリリューを結ぶセスナの定期便も再開し、よりダイバーの方々に近くなったと思います。これからまたいろいろ問題は起こるでしょうが、何事もどうにかなるものと思いやっていくしかないですね。みなさんよろしくよろしくお願い申し上げます。